推薦者

四方 幸子(しかた ゆきこ) 四方 幸子(しかた ゆきこ)
キュレーティングおよび批評。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(02-04)のキュレーターを経て、現在NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸員、東京造形大学特任教授、多摩美術大学・京都造形芸術大学客員教授。メディアを横断し、20世紀以降のアートの可能性を研究。最近の代表的な企画にラファエル・ロサノ=ヘメル「アモーダル・サスペンション」(山口情報芸術センター開館記念、2003)、「オープン・ネイチャー」展(ICC、2005)、「MobLab」(日本におけるドイツ)、「コネクティング・ワールド」展(ICC、2006)など。アルス・エレクトロニカ賞審査員、UNESCOデジアート賞審査委員長、ナムジュン・パイク賞審査員他を歴任、transmediale(ベルリン)アドバイザー。

<推薦作家/作品>
るさんちまん ikisyon 7 (2003) 8‘
ニクラス・ゴルトバッハ(Niklas Goldbach) Greetings (2003)  11‘
コーネリアス/辻川幸一郎 DROP _ Do It Again (2004)  6‘
タナカカツキ Slowballad (2004)*戸田誠司用PV 6‘
山下麻衣 + 小林直人 Release of Mineral Water (2004)  6‘24“
D-Fuse ブリリアント・シティ(2005)

<推薦理由>
「日常」、そこは私たちが世界をあらためて発掘するための宝庫である。メディア、都市、身体、テクノロジー…。私たちは日常的にさまざまな要素を身にまとい、もしくはフィルターとして無意識的にそれらを介在させることで世界を把握している。そこに潜むミクロな非日常を驚きとともに発見すること、それはほんの小さなスリップから発生しはじめる。
 具体的には、身の回りの雑多なメディアや事物、概念を、まず疑い対象化することからそれははじまる。ひとつの意味に回収されることなく、背後にある構造へと眼を向けること。既存の意味を脱臼させ、ナンセンスや矛盾の中へ放散する勇気。他愛ない、ささいなことでもかまわない。世界はささやかな偏向で、ドラスティックに変わるのだ。
 今回のセレクションでは、そのような実践のいくつかを紹介する。そこには表現やナラティヴへの依存や信頼も、特定の意味や解釈も存在しない。むしろ使用するメディアやテクノロジーの特性を批評的かつ直観的に読み取ることで、解釈の表層から逸脱することが試みられている。いくつかのキーワードを挙げてみる。
―フレーミング:社会・技術・知覚など既存のさまざまなフレーミングの内部にとどまるのではなく、意識的に複数のフレームに対峙しその間を移動しながら、世界(解釈)の求心性を撹乱しつづけること(るさんちまん、D-Fuse)。
―機械眼:日常に流通する機器に搭載されている軍事由来のテクノロジーを利用し、人間の知覚を超えた機械的な(時に人間がファインダー越しに介在しない)「眼」として利用する試み(るさんちまん)、もしくはあえてそのシミュレーション的映像を手動で行うこと(D-Fuse*)。機械のセンシングシステムによって撮影された映像(もしくはそのシミュレーション)は、人間と機械がシームレスにつながった「機械眼」の実現であるとともに、監視カメラやトラッキングシステムが物理・サイバー空間を超えてネットワーク化された現実へと私たちを向かわせる。
―非日常への接続:日常的なオブジェや世界から、シュールかつナンセンスな裂け目を現出させ、意味の宙づりをもたらすこと(タナカカツキ)。
―現象の可視化:人間が生身では知覚できないダイナミックな現象―電磁波や大気、水流などーを技術的・想像的に可視化することで、世界を動的なプロセスとして浮上させる試み(コーネリアス、タナカカツキ)。
―境界の可視化:日常に潜むさまざまな境界や未知の存在―社会・経済・環境システム、国境、地球外生命体、そして私たち自身などーを批評的に可視化する試み(山下麻衣+小林直人、ニクラス・ゴルトバッハ)。
 日常をたえまなく異化していくこれらのプロセスから、これから開示されうる無数のチャンネルを想像し新たな実践へと向かうことが、見る側に期待されている。


*D-Fuseの《ブリリアント・シティ》は、ハイヴィジョンによる実写でモニター上のターゲッティング・シミュレーション的映像を実現した《Tokyo Scanner》(企画制作:森ビル 矢部俊男、監修:押井守、2003)に触発され制作された。

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